江刺は仙台藩北辺の「要害」として、伊達家の重臣が治めた城下町です。
この「要害」とは薩摩藩の「外城」に似た制度で領地防衛の為に、各地に家臣団を配置するもので、当然幕府の一国一城令に反する行為でしが、東北諸藩はいずれも似たような制度を実施していました。
岩屋堂城は幾たびも領主が変わりましたが、明治まで最も長く治めた岩城氏の時代に城下町が整備され、また問屋町が開かれました。
岩谷堂宿は 北上川の舟運や陸路交通の要衝として栄え、江刺郡の中心地となりますが、明治に入り日本鉄道(現:東北本線)の敷設に反対し、同線が北上川西岸側である水沢ルートを通ると、次第に流通の機能を失い急激に衰退していきます。
現在、問屋や豪商の屋敷を中心に土蔵造りの町並みを再現し、町並み造りを行っていますが、歴史的な建築物の修繕保存にも力を注ぐ事を期待したいと思います。
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