南部藩四門九戸のひとつ南門一戸。奥州街道の盛岡城下より10番目の宿場町で岩手県最北の町。
かつて大勢力を誇った一戸南部氏の拠点でしたが、九戸南部氏の謀略によって一戸氏本家は滅亡。九戸南部氏ものちに宗家三戸南部氏に対して反乱を起こし、豊臣秀吉の奥州仕置によって滅亡します。
以後一戸は盛岡藩領となり一戸通代官が置かれ、呉服商や米穀商、酒造業などの商家が立ち並ぶ商業の町として発展しました。
また、 奥州街道の宿駅でもあり八戸藩主や松前藩主の宿泊旅館が設けられました。
さらに一戸は古くより 火薬の原料となる硝石の産地として重要視され、福岡(二戸市)通代官の管理下に置かれました。
一戸郵便局や岩手銀行一戸支店のある向町に伝統的な旧家の街並みが残っています。しかし、いくつかの屋敷は廃屋となり、一部取り壊されている建物もあり、保存の手だてが急がれます。
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