東北の「天橋立」とも称された「高田松原」がある陸前高田は宮城県と接する岩手県三陸海岸最南端の町です。古くから国境の町として重要視され、諸街道が集まる交通の要衝でもあって、長く気仙地方の中心として発展してきました。ただし現在その役割は大船渡市に移ってしまっています。
陸前高田は古くから浜街道・気仙街道(今泉街道)・世田米街道の集まる交通の要衝として栄え、今泉宿(気仙町今泉地区)と高田宿(高田町)の隣接する二つの宿場は明治末期まで続きました。高田松原は寛永年間に田畑を風害と塩害から守るため植林されたもので、京都の天の橋立を彷彿させます。
三陸の幹線道路・国道45号は海沿いをバイパスしている為、旧市街地の街並みはかろうじて残されています。かつての「今泉宿」である気仙町の今泉地区には陸前高田の伝統的商家建築として知られる「八木澤商店」をはじめとして、白壁の土蔵街や江戸期より大肝入を勤めた茅葺き屋敷の吉田家住宅など、文化財クラスの建物が多く残っていました。
一方で町の中心地区でありかつて「高田宿」として栄えた高田町は駅周辺の近代化が進む中において、荒町地区あたりには中世から続く宿場町の遺構である桝形や昭和初期以降の建築と思われるレトロな街並みを見ることができました。
町はずれに建つ、地酒「酔仙」の酔仙酒造は三陸を代表する準大手の酒蔵です。
しかし、2011年(平成23年)3月11日。宮城県の三陸沖、牡鹿半島の東南東約130kmで、マグニチュード 9.0クラスの巨大地震が発生。この地震が生み出した高さは15メートル以上の津波は、北は青森県八戸市から南は宮城県仙台市までの三陸沿岸、さらに福島県沿岸から茨城県、千葉県沿岸の町に甚大な被害を及ぼしました。
中でもリアス式の三陸海岸の町々は、その地形ゆえに津波が最大30m以上の高台まで駆け上がり、「町」そのものを丸ごと消失させる惨事にまで至ったのです。犠牲者の数も数万人に上り、戦後最大規模の大災害として歴史に刻まれる事になりました。のちに「東日本大震災」と命名されます。
この陸前高田市も、市街地全域がほぼ消失。ここに掲載している写真は2005年当時のもので、現在これらの町並みや家屋は全て残されてはいません。
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