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標高500mの阿武隈山系のど真ん中古殿町竹貫は、中通りと浜通りをつなぐ御斎所街道の宿場町として発達した町でした。古殿町の中心部である竹貫は、中世竹貫氏の城下町でもあり、当時から宿場町として問屋が置かれ、市が立ちにぎわったと言われます。
戦国期にこの一帯は佐竹・岩城氏の領地でしたが、関ヶ原の戦いで両氏が敗れると、幕府領となり、竹貫には陣屋が置かれ幕府代官の支配となります。
江戸期には海岸部から運ばれた塩や海産物などを会津や下野(今の栃木県)といった内陸部へ運ぶ中間地として、また同町の特産品である遠野和紙を江戸をはじめとした大消費地へと運ぶ交易・交通の要衝地として栄えました。
昭和30年、竹貫村と宮本村が合併し古殿村が誕生します。「古殿」の由来は総鎮守古殿八幡宮からつけられました。
現在も御斎所街道はいわき沿岸地域と内陸部を結ぶ道で、非常に交通量が多い。
街並みの中心となっているのは天保年間創業の豊国酒造の蔵屋敷、道の斜向かいには味噌蔵であるマルマン醸造の土蔵や往時を偲ばせる建物が並び、さらにその先に平入り二階建ての旅籠建築が残っていました。
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天保年間創業の豊国酒造 |
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