田麦俣は古くから湯殿山の参詣拠点として集落が形成されており、近世には六十里越街道の宿場町でもありました。さらに出羽国庄内藩の要衝として藩の番所が置かれ、厳しい取締が行われていました。
現在田麦俣は「高八方造り」と呼ばれる独特の兜造り民家の里として有名で、県による再生保存が行われています。江戸時代後期に四層の建築様式が創案され、上階は養蚕の作業場兼倉庫として採光為に平面の屋根に高八方と呼ばれる破風窓が設けられ、妻側を兜状に大きく開いた構造をもっています。
現在二棟が再生整備され、手前の民家は民宿を営み、奥の旧遠藤家住宅は県文化財として一般公開されています。
周辺環境の防災事業と建物の保存事業を一括して行ったのかどうかは分かりません
が、景観や文化といったものがまるで考慮されず、ミニチュアのように非常に浮いた風景になってしまった事が惜しまれます。
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