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長南町は茂原市の南西に接する山間の町。長生郡南西部に位置していた事から、中世より長南荘の名で呼ばれていました。
町場の形成は戦国時代の武将長南氏とそれを攻め滅ぼした甲斐武田氏(後の丁南武田氏)の居城である丁南城の城下町が始まりです。
江戸時代になると房総往還中街道の宿場町的性格を備えた在郷町として発展。商業・経済の中心地となり、2と7の日に六斎市が開かれました。これは大久保忠佐が開いた茂原周辺の「五ヶ村組市場」のひとつです。ちなみに大久保忠在は家康の三河時代からの譜代家臣で、徳川十六神将のひとりであり、上総茂原5000石を有していました。関ヶ原の戦い後には出世して駿河沼津2万石の大名となります。長南町は山間にありながらも旅籠屋の他、8軒の呉服商、17軒の飲食店、薬屋に金物屋が軒を連ねたといいます。
明治には人道軌道や南総鉄道が開通したましたがいずれも経営不振で廃止。これに合わせ町も衰退していきます。しかし、ここも房総半島の山間部の町としては稀少な、往時を偲ばせる家並みの風景が残された場所です。
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