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山北町は静岡県・山梨県と接する県最西端の山間の町。江戸時代は川村山北と呼ばれた国境の町で、川村と隣りの谷ヶには関所が置かれていました。この関所は箱根関所の抜け道を固めるためのもので、2〜5名程度の役人が詰める小規模なものでした。
山間の小さな集落が大きく発展するのは明治に入ってからの事です。
明治22年7月、東海道線が開通しました。当時の東海道線は現在の御殿場線のルートがそれでした。この山越えのルート上には25パーミル(1000m毎25mの勾配)
が立ちはだかり、後押しの補助機関車を連結しなければ当時の鉄道は登り切る事ができなかったのです。
そしてその補助機関車の基地がこの川村山北に設けられました。機関車11両に、600名を越える職員が配置されたのです。線路は上り・下り各14本。水や石炭を補給する駅でもあった為に、急行列車など全ての列車が山北駅に止まりました。
これにより山間の小さな村は交通の要衝となって活況を呈し、川村は駅名となった山北村に改称しました。
ところが、土木技術も進み、熱海から三島へ抜ける丹那トンネルが開通すると、山北経由の東海道線は御殿場線というローカル線に転落。600人以上いた鉄道職員も一気に20名ほどまで減ったことにより、町は壊滅的な打撃を受けることになったのです。
山北駅前から東西に伸びる商店街には、栄枯盛衰の縮図のような歴史の姿が残されていました。
さて、商店街を国府津方面に行った終わりで、県道に合流します。そのすぐ先に1軒の酒蔵があります。川西屋酒造店で、おそらく今日現在の神奈川県下の酒蔵の中で最も精力的に他県へ販路を広げている元気な酒蔵です。
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山北の名を再び広げた「丹沢山」の川西屋酒造店 |
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