騎西町は埼玉県北東部、利根川水系の後背湿地帯にある小さな町です。古くは私市
(きさいち)と書かれ、往還沿いに発達した市場町だったようです。
戦国期に小田原北条氏の部将・大戸氏が私市城を築き、城下町として発展しました
が、上杉謙信の侵攻によって城と城下町は焼き払われます。
やがて徳川家康が関東に入国した翌年の天正19年(1591)、松平康重が2万石で配され陣屋支配が始まりますが、関ヶ原の戦い後に常陸笠間へ3万石で移封。
その後は大久保氏2代の支配を経てで幕府領となり在郷町として再出発します。
騎西は古くから交通の要衝であり市も開かれていた町で、江戸時代以降も4と9の日に六斎市が立ち、羽生、忍と岩槻を結ぶ往来の馬継場として繁栄しました。
また騎西は米と綿の生産が盛んで、特産の武州織物である青縞は騎西縞、めくら縞とも称されます。当初は農家の副業として始まり、天明年間(1781-89)には、3と8の日に青縞市が立つほどまでに成長しました。取引市は後に加須に移りますが、青縞の生産はその後も続き、やがて製糸産業へとシフトしていきます。
当時騎西町で最も歴史の古い製糸工場を経営していたのが、
近江日野出身の商人、小森家が経営する小森商店で、同社は後に本庄市へ移り、同じく小森家が寛延2年(1749)に起こした清酒部門である釜屋酒造の販売卸部門を担います。
清酒「力士」を醸す釜屋酒造は、今も騎西町の中心部に蔵を構えています。
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