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  力石
ちからいし
 松代藩の筏宿・渡船場集落
 長野県埴科郡上山田町力石 【長野県千曲市力石】2003年合併

 構成:養蚕民家・長屋門・土蔵 ■ 駐車場:なし
 
 

江戸時代後期から昭和初期にかけて、全国各地で石を用いた力試しが若者たちによって盛んに行われていました。その石は表面に凹凸の少ない自然石が用いられ「力石」と呼ばれていました。
長野県の平野部最大の温泉地として知られる上山田戸倉温泉郷。このうち上山田温泉の南東部で、隣りの坂城町と接する境に力石と呼ばれる地区があります。
古くは洪水によって巨岩が数多く運ばれてきた事に由来するというこの集落は、過去に長い間洪水に悩まされてきました。
千曲川左岸の主要幹線道路である主要地方道長野上田線が直角に折れ曲がる交差点付近に建つ清水神社の入り口には「力石さま」が奉納されています。

度々洪水によって壊滅していた力石村は、千曲川対岸にある北国街道宿場町にして城下町の坂木と結ぶ舟渡や松代藩の筏流しによって生計を立てていました。
筏流しとは松代藩は領内の上平御林・小網御林(坂城町)山田御林から切り出した材木を筏の形に組んで下流の筏宿(基地)へ流す運搬方法で、力石渡し場に集められた材木はここで筏に組まれ下流の西尾渡し場(長野市)へ向けて流されます。
力石には筏庄屋が置かれ、筏世話役が指揮・監督を行っていました。

幕末が近づく文化・文政年間からは養蚕・蚕種業が行われ、力石には繊維関連に従事する商人が数多くいました。明治になると製糸更科社が創立され、更級郡近郷蚕業の中心地とります。
「力石さま」が建つ力石交差点付近に養蚕業全盛時代に建てられたであろう、立派な長屋門や土蔵を構えた養蚕民家が建ち並んでいます。ただし交通量が多く建物の傷みへの対策が求められる一方で、取り壊されて更地になった跡も目立ちます。