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  木曽福島
きそふくしま
 木曽の中心都市・中山道木曽路三十七次の宿場町
 長野県木曽郡木曽町福島(上の段) 【旧・木曽郡木曽福島町】2005年合併
構成:切妻平入出梁民家(旅籠・商家)・土蔵・高札場 駐車場:町役場
 
 
木曽福島は人口約13,000人の木曽の中心都市で、木曽谷の最も奥深い場所にあります。町を貫く木曽川の急流にせり出すように建つ「崖屋造り」の家々はこの町が紹介される際に必ず登場する風景です。表通りからは一見2階建てに見えるこの建物、川側にまわると実は3,4階建てである事に驚かされます。平地の少ない土地ならではの発想ですが、岡側の町並みもギッシリと詰め込むように密集しています。
このために昭和2年の大火で木曽福島の町は、丘陵上にある上の段町を除いたほぼ全てが焼失してしまったのです。

木曽福島は飛騨や伊那へと通じる街道が交差する要衝として、中世から木曽氏の本拠とな
り、戦国期には宿場の機能も生まれていました。江戸時代になると、木曽の木材資源を管理するために幕府・尾張藩の管理するところとなり、木曽代官・山村氏の陣屋町として、また中山道の宿場町として整備されていきます。

また江戸と京のちょうど中間に位置する事から、かの有名な「福島関所」が置かれ、「入鉄砲・出女」と称する厳しい取締が行われました。
木曽代官所や家臣団など政治・行政の中心は木曽川右岸に置かれ、中山道の宿場町は中世の城下町に始まる木曽川左岸に隅分けられています。

昭和の大火でかろうじて焼失をまぬがれた上の段町は、町を見下ろす小さな岡の上にひっそりと佇み、家並みのほか、用水や桝形、高札場など宿場町の面影を色濃く残しています。
江戸時代末期の福島宿の詳細は宿長3町55間、家数158戸・人口972人。本陣1軒・脇本陣1軒・問屋2軒・旅籠屋14軒(大1・中5・小8)で、本陣があった場所に現在、木曽町役場が建っています。上の段町は木曽宿に続く町で、茶屋や商家がありました。

火災で失われた本町一体には、江戸時代の建物は残されていませんが、昭和初期の古びた町並みが続いています。その一画、木曽の地酒を代表する「七笑酒造」周辺の裏路地には、甘い香りが立ちこめ、土蔵や古い民家が迷路を形成する、上の段町とは一味違った路地裏の風景が楽しめます。ちなみに、木曽福島の酒蔵でもう一軒、「中善酒造店」はJR木曽福島駅よりの木曽川右岸、木曽御嵩山へ通じる街道沿いにあります。

 
上の段用水
 
 
本町の裏路地にも古い家並みが残る
木曽川にせり出した本町の崖家造り
木曽福島の酒蔵          
清酒 「七笑」 七笑酒造  長野県木曽郡木曽町福島5135 0264-22-2073  
清酒 「中乗さん」 中善酒造店 長野県木曽郡木曽町福島5990 0264-22-2112