かつては奈良井千軒と呼ばれた奈良井宿に次ぐ規模の宿場町だった野尻宿。古くは野路里もしくも野次里というきれいな響きの地名でしたが、江戸期ごろから「野尻」という野趣な字になってしまいました。野尻は国道19号線とJR中央本線に挟まれた細長い集落で、木曽川左岸段丘上の斜面に蛇行する旧中山道沿いに宿場町の面影が残ります。
野尻宿の特徴は「東のはずれ」という屋号を持つ尾上家と桝形に始まり、上町・中町(本
町)・横町にかけて、外敵の侵入を防ぐために右左に曲がりくねった「七曲がり」が続き、「西のはずれ」の屋号を持つ吉村家で終わるユニークさです。
幕末の記録で家数185戸人口1,088人。江戸時代初期には3町29間だった宿長がこのころには、倍の6町3尺に発展している事に驚かされます。これは隣りの三留野宿との間に木曽有数の難所をいくつも抱えていた事によるものでしょうか。本陣1軒・脇本陣1軒、問屋2軒・旅籠19軒(大2・中10・小7)で、庄屋を務めていた森家・古屋家が本陣を、木戸家が問屋と脇本陣を務めていました。
野尻宿は明治27年の火災で焼失。「七曲がり」と呼ばれる曲がりくねった道は、車がギリギリすれ違えるほどの狭さで、これに沿って2階建ての大正・昭和初期あたりを思わせる家並みが続いており、中には中二階出梁造りの民家も多少は残されていました。
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