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  坂木
さかき
 北国街道の宿場町・坂木藩板倉家3万石の城下町
 長野県埴科郡坂城町坂城

 構成:商家・町家・本陣  駐車場:なし
 
 

上田市の北西に接する坂城町は北国街道の宿場町であるとともに城下町でもありました。かつては「坂木」と書かれ、「坂城」になるのは明治になってからです。

慶長8年、松平忠輝が川中島藩(のちの松代藩)に入封し、北国街道の整備をはじめました。坂木宿は慶長17年頃には宿場の基礎がつくられ、その後拡大していきます。宿場の維持繁栄の為に遊郭が数多く造られました。
坂城駅前から北に延びるゆるやかな坂の道筋に宿場の面影を残す伝統的な商家や旧脇本陣を務めた家などが残されています。坂の突き当たりには桝形が残ります、このあたりにかつて旅籠や遊郭が軒を連ねたといわれています。

さて、江戸幕府では4代将軍徳川家綱が死去し、後継者問題で対立が起きました。
館林藩主松平綱吉を推す水戸光圀・老中堀田正俊派と有栖川宮幸仁親王を推す大老酒井忠清と板倉重種派の争いは5代将軍徳川綱吉の誕生で決着します。
この争いで敗れた酒井忠清は解任され、同じ派閥の板倉重種は1万石減封のうえ、信濃坂木に左遷されてしまいます。
こうして坂木藩5万石が成立しましたが、重種は幕府に領地返上を願いでるも先祖の勲功により却下されます。その後坂木藩は長男重寛が3万石で、甥の重宣が上総高滝藩2万石を継ぎました。
板倉重寛の治世が評価され、その後出世して陸奥福島藩への転封にともない坂城は廃藩となりました。


旧脇本陣