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須坂市の南端、長野自動車道・長野ICから長野市中心部への途中で千曲川に掛かる屋島橋の袂に南北に延びる福島集落がある。福島は千曲川右岸の自然堤防上に形成された街村で、江戸時代には北国脇街道・松代道の宿場町でした。
福島は戦国期ころからすでに千曲川の渡船場があり、交通の要衝だったといいます。慶長16年、松平忠輝によって北国脇街道・松代道が整備され福島は伝馬宿として成立します。北国脇街道・松代道はこの先千曲川を渡って、対岸の長沼宿へ至り、豊野を経て本道へ合流しました。福島宿は南北約600m、北と南にそれぞれ桝形を設け、北の桝形には鎮守の天神社と浄土宗西福寺を配されます。北の桝形は鎮守と共に現存しています。
また、福島宿は東の須坂へ至る大笹街道の追分でもあり、本通りの中ほどには、大笹街道の起点を示す石の道標「右松代道・左草津、仁礼宿」がありました。大名や旅人の往来は少なく、あくまで農業主体の宿場町だったようで、宿場の南側には問屋・本陣を務めたと思われる旧家は見られるものの、川田宿同様に旅籠は少なかったようです。
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北の桝形と西福寺 |
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