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長野県北端の村で最奥の修験場としてしられる戸隠。戸隠連峰は凝灰角礫岩(火山灰と礫が堆積した岩石)が浸食に抵抗して突起した差別浸食地形からなり、鋸歯状の山稜を連ね絶壁を成す山容から、神の御座す山として古くから山岳信仰の霊地とされてきました。そして今から役千数百年前に役行者によって開かれたとされる戸隠修験道は、平安期には全国に知れ渡る修験の場として確立しています。江戸時代になると徳川家康によって保護され、庶民の間にも信仰が広がると戸隠社門前には多くの宿坊集落が形成されていきました。
さすがに修験の里だけありアクセスは困難を極めますが、長野市街北側から飯縄高原を経由するルートと信濃町からのアクセスは比較的容易です。
宿坊街といえば山形県の羽黒町手向が有名ですが、手向は入山前の平地に宿坊が形成されているのに対し、こちらは神社門前の急峻な斜面に宿坊が立ち並び、福岡県の英彦山に似ています。
戸隠三社の中核を担う中社には大型の観光バスも乗り入れ、戸隠そばの店など観光店舗が宿坊の数を上回り、修験の宿坊街は神秘さや荘厳さは失われています。宿坊もさまざまなトレンドを取り入れ旅行雑誌などにも取り上げあれる坊とそうで無い昔ながらの坊との二極化が際だち、前者の方が昔ながらの外観を保っているのも皮肉なもので、修験山の宿坊を売りにする為の演出を強く感じます。
おそらくこの傾向は、庶民信仰が始まった江戸期からすでに始まっているものと思われますが、スキー場開発や別荘地などが徐々に浸食してきているのも現実です。
一方、中社手前にある宝光社門前にも茅葺きの宿坊集落が残されています。こちらは中社よりもさらに平地が少なく、傾斜のきつい山腹に形成されている為観光地化をある程度ブロックし、わずかながら静かさが残されています。
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