佐渡西端の半島部、真野湾の西岸に二見という名の集落があります。この集落の特徴は関東や信州地方に見られるような出梁・せがい造りの旅籠建築が、県道に沿って立ち並ぶ街村の形態であることです。
二見集落は宿場町ではありません、江戸時代には相川の外港として大型船が60〜70隻も入港していた港町でした。明治以降は石炭の水揚げ港として栄えます。しかし、現在の二見港に往時の賑わいはありません。集落の外れには火力発電所がそびえます。
この町並みは、明治4年に海岸を埋め立てて造成された二見新地で、かつては遊郭が開かれていたといいます。それも約40年後には衰退します。
佐渡は、古くから京の貴族の配流地であり、江戸期には幕府直轄地。さらに北前船によって上方(大阪)や日本海各地の文化が持ち込まれ、日本の縮図とも言われています。
この、宿場町のような家並みもまた、江戸時代に佐渡に持ち込まれた建築技術なのかも知れません。江戸幕府の経済基盤を支えた佐渡は、意識的には中央と近く、それがこのような他地域の建築様式を真似ることに繋がったのか。そんなことを考えながら集落を歩きます。
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