佐渡島の南西端、古くからの港町・小木の東に、大石湾に臨む羽茂港があります。貨客の取扱いもなく漁港でもない、ひっそりとした港です。羽茂川の河口に位置し、ここから約2.5kmほど川をさかのぼると、戦国時代に羽茂本間家の城下町であった羽茂本郷の町があります。旧羽茂町の中心部でもありますが、古い町並みはほとんど残されていませんでした。
古代の羽茂地方は南佐渡における行政の中心地で、現在の羽茂港付近は文献に記された「水湊」だと推定され、古代佐渡国の表玄関だったといいます。戦国期は羽茂本間家の外港だったのでしょう。江戸時代になると、佐渡は幕府の天領となり、相川の金山開発とその積み出し港である小木港が整備されます。相川から小木港を結ぶ街道は時代によっていくつもルートが開かれますが、相川から羽茂本郷を経由して沿岸部へ出る道は古くからあり、この道も幹線道路として整備されていきます。
羽茂港のある大橋地区に白壁の町並みがあるという事で訪れました。地名の由来にもなったと思われる羽茂川に掛かる橋を渡ると、佐渡で最も大きな醸造会社であるマルダイ味噌の工場が街道にそって建ち並んでいます。もっとも蔵はコンクリートで伝統的な土蔵風に建てられたもの。さらにその先には木造の佐渡醤油の古い工場が続く、醸造ストリートといった感じです。
元禄6年(1693)に羽茂本郷の海老名武右衛門が味噌の醸造を開始したのが、羽茂における味噌醤油醸造の始まりで、明治になると主に北海道での消費拡大によって佐渡の醸造業は急速に発展していきます。羽茂の後背地には大豆の生産地が広がっていた事と、製品の移出を行う港町もあって、昭和30年代には16もの味噌工場が林立し、最盛期には佐渡島内の9割の生産量を誇ったといいます。しかし後は衰退の一途をたどり、現在は全国に販路を持つマルダイ味噌と佐渡醤油の2軒しかありません。
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