糸魚川市街の東、早川沿いに酒蔵がある街村を地図で見つけ、「新町」という地名にも惹かれて訪れてみました。
古くは根小屋町と言われ、早川の対岸の不動山山麓にあった訪神社を中心とした市場町として発展した集落でした。しかし長年水害に悩まされ、江戸期ごろから少しづつ町は現在の場所に移転を始めたそうです。町は県道に沿って細長く形成され、下早川地区には上町と下町という旧称も残りますが、とにかく長い町で、現在は上流の上早川地区に中心商店街を成しています。
伝統的な様式の建物は殆ど残っていませんが、昭和初期の郷愁感漂う家並みが見られ、時間の流れが下流とは違うような錯覚を受けます。この場所でこれほどまでの町が発展した理由を調べて見ましたが、特にこれといった記録は見つかりませんでした。
長年にわたり、いろいろな産業に手を伸ばしましたが特に主立った産業は根付かなかったようで、しかし明治から大正にかけてこの町には、料理屋が16軒も並び、芸者などを50人もかかえ、共同で芝居小屋「新富座」の経営も行っていました。早川流域地域の中心繁華街として発展したようです。戦争を挟んで歓楽街は衰退しましたが、それでも現在もなお割烹や料亭が多い事を考えるに、早川地域は河口の梶屋敷まで両側を山に挟まれて横の移動が困難な上に、季節によってはさらに各地域が孤立する、厳しい自然環境の土地ゆえに、このような街村中心街が今もその役割を保ち続けているのでしょう。
さらにこの地域は人口密度も低く、大型スーパーの進出も無いようで、商店街にはそこそこの活気がまだ残されていました。
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