一路一会古い町並みと集落・甲信越>新潟>糸魚川

  糸魚川
いといがわ
 北国街道の宿場町・千国街道の起点にして越前松平家1万石の陣屋町
 新潟県糸魚川市大町・本町・横町・新鉄・寺町
木造2階建て商店群・古旅館・酒蔵・土蔵  商店街  JR北陸本線・糸魚川駅徒歩
 
 

糸魚川は富山県にほど近い新潟県西端、姫川河口に開けた人口31,000人ほどの都市です。
現在もJR北陸本線と大糸線、さらに国道4号線と松本を結ぶ国道148号線が分岐する交通の要衝ですが、古くからも北陸道(北国街道)と千国街道が分岐する宿場町、北前船の寄港する港町、江戸期には譜代親藩・越前松平家の分家である糸魚川藩1万石の陣屋町でもあった町です。

ところで糸魚川という名の川はありません。糸魚川とは古代糸井造の開いた糸井荘に由来する説がありますが、あるのは姫川のみ。本州を東西に二分する大地溝帯・静岡糸魚川構造線を流れる急流で、古くからヒスイの産地でもあります。
近年には良質な石灰岩が産出される事から、姫川河口はセメント関連の工場地帯に姿を変えました。頸城地域は山々が日本海に落ち込み、平地が少なく、糸魚川中心市街もかろうじて姫川河口デルタにへばりつくように形成されています。中心市街の裏手には国道4号線が上を走る堤防が築かれ、そのすぐ先は日本海です。

北国街道の宿場町が原型となった商店街には、それほど古い建物は見られませんが、昭和初期ごろかと思われる2階建て平入りの建物が連なり、越後特有のアーケードである「雁木」が町並みに特徴を見せています。商店街の中にひときわ目を惹く白壁の建物は、かつて本陣を務めた上越の銘酒「加賀の井」を醸す加賀の井酒造。もう一つ、横町交差点から分岐する旧千国街道は市内では「白馬通り」と呼ばれ、ここにも地酒「謙信」を醸す池田屋酒造があります。また、旧北国街道をさらに東へ進んだ寺町にも1軒、田原酒造がありました。

上杉謙信が武田信玄に塩を送った故事にもあるように 千国街道は別名「塩の道」とも呼ばれ、古くから、海を持たない内陸の信濃や甲斐へ塩を中心とした海産物を運ぶ道であり、生命線でした。江戸時代になると北前船で陸揚げされた物資は、番所で検査を受けた後、牛方やポッカ(歩荷)と呼ばれる運送者によって千国街道を運ばれたのです。

城下町の部分では、幕末まで越前松平家の分家である糸魚川藩1万石の陣屋町でした。しかし藩主は江戸城下に定府で、実質的に代官による支配でした。
関ヶ原の戦い後、越後高田(上越市)には家康の六男、松平忠輝が配され、この糸魚川も高田藩の支配となります。軍事的にも要衝であった糸魚川の清崎城には家老クラスの家臣が置かれていました。ところが松平忠輝は不行跡で改易。清崎城は破却。
日向延岡より有馬清純が5万石で封じられて糸魚川藩が成立します。続いて本多助芳が出羽村山から1万石で入封。最後に松平直之が1万石で立藩を許され、以後8代続いて明治を向かえたのです。

 
 
 
 
かつて本陣を務めた「加賀の井」の加賀の井酒造
白馬通りにある「謙信」の池田屋酒造
糸魚川の酒蔵          
清酒 「加賀の井」 加賀の井酒造 糸魚川市大町2-3-5 0255-52-0047    
清酒 「謙信」 池田屋酒造 糸魚川市新鉄1-3-4 0255-52-0011    
清酒 「雪鶴 」 田原酒造 糸魚川市押上1-1-25 0255-52-0109
清酒 「月不見の池」 猪俣酒造 糸魚川市新町71-1 0255-55-2402
清酒 「根知男山 」 渡辺酒造店 糸魚川市大字根小屋1197-1 0255-58-2006