古くから旅人を癒した温泉町にして北国街道の宿場町「岩室宿」を訪れたのですが期待に反してこれといった街並みを見つけることができませんでした。
隣接する巻町やその隣りの西川町の中心部には桝形の遺構があるので、とりあえず岩村駅前通りに足を運んでみました。 ところがこの駅前通りには伝統的な佇まいの町並みがありました。この道筋はどの時代にも北国街道では無いのですが、なぜこの地に在郷町のような町並みが形成されたのでしょうか?
この地域は和納(わのう)といい、岩室とはまったく別の歴史をもつ村で、昭和の大合併により岩室及び周辺町村に分割編入されました。
岩室村となった国鉄越後線の和納駅は昭和41年岩室駅に改称されます。
和納は西川を通る蒲原船道の主要な中継地として発展した村で、市も立ちました。さらに幕末の「米百俵」で有名な長岡藩の支藩・三根山藩の前身である長岡藩旗本寄合・牧野定成6000石の陣屋町だった時期もありました。
その後陣屋は別項の巻町福井のある三根山(現在の峰岡)へ移り、「米百俵」で知られる三根山藩が成立しました。
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