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甲州ワインの里として知られる勝沼におけるブドウ栽培の歴史は古く、江戸時代にはすでに天下の名産地としてしられ、甲州ブドウは献上品として江戸へ直送されていました。上岩崎村に住む雨宮勘解由という人物が自生していた一株のブドウを発見し、自宅で栽培したのが始まりとされ、棚作りの仕方も彼の発案と言われています。
古くから交通の要衝であった勝沼は、江戸時代に甲州街道が五街道の一つとして格上げされたのに伴い新規に設置された宿場町で、甲府への玄関口として繁栄の一途を辿りました。
宿場の規模は東西に12町(約1300m)で、本陣は上町に1軒・脇本陣は本町と上町に各1軒・旅籠屋は23軒ありその内訳は大5軒・中7軒・小11軒で、中町に高札場と人馬継立問屋場が置かれていました。石和代官所陣屋に貯蔵があった為、郷蔵は置かれていませんでした。宿場内には他に茶屋や諸商家が立ち、毎月2・7の日には市が立ったそうです。
古くから要衝であった勝沼は、歴史の激動期には常に矢面に立たされており、幕末には近藤勇率いる新撰組(甲陽鎮撫隊)による甲州勝沼の戦いの舞台にもなりました。
現在甲州街道は勝沼宿に入る手前、柏尾から南下するバイパスが国道20号線となっっていますが、旧道はそのまま勝沼町内を横断して栗原宿で青梅街道に合流し石和を通過して甲府城下へ通じています。柏尾交差点からすこし入った上町には伝統的な家並みが残されています。なかでも勝沼宿の富商萩原家邸は宿場町の面影を残す家並みです。
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