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八幡北
はちまんきた
 秩父往還沿いに残る大井俣窪八幡神社の門前集落
 山梨県山梨市北・南
農村型古民家・酒蔵・土蔵  窪八幡神社  JR中央線・山梨市駅からバス
 
 
山梨市の市街地近郊の北側、笛吹川に掛かる八幡橋を渡ると、大鳥居があらわれます。
鳥居の先には伝統的な家並みが並び、その突き当たりに窪八幡神社があります。正式名称は
大井俣窪八幡神社といい、9世紀ごろに宇佐神宮から勧請された歴史の古い神社で、甲斐源氏、武田家本流の氏神として長く信仰を集めていました。

勧請された当初は、音取川(ねとりがわ、現在の笛吹川)の中島である大井俣に置かれたことから大井俣大明神と称されていましたが、たび重なる水害によって現在の場所に移転しました。当時の”窪”という地名から窪八幡宮と呼ばれるようになります。

このため、南北朝期以降からこの地域は八幡荘、戦国期には八幡郷と呼ばれるようになります。江戸期には八幡村が分村して、八幡北村となり、現在はただの北という住所になっています。

八幡北は、古くから窪八幡神社の門前集落として人家が密集して町場と化し、横町・馬場町横屋町・上町・下町などに区画されていました。

その後さらに、秩父往還(雁坂道)の新道がこの町を通るようになり、青梅街道との分岐点でもあって一層賑わう町として発展していったようです。この一帯は農村地域ですが、街道沿いには家並みが続くことから半農半商の集落だったのでしょう。

ちなみに、秩父往還ははじめ笛吹川の対岸を走っていました。七日市場という地名が残る場所が初期の宿場町・市場町だった場所です。しかし現在は往時を偲ばせるような家並みはおろか、その遺構すら見る事はできません。
 
大井俣窪八幡神社
 

 
山梨県で一番ちいさな酒蔵・養老酒造
 
北地区に続く南地区の旧街道沿いにも家並みが残る
 
八幡北の酒蔵          
清酒 「金盃養老」 養老酒造 山梨県山梨市北567 0553-22-0047