静岡県の旧清水市と芝川町に接する山梨県最南端の旧富沢町。実質的に静岡経済圏に属し、町の9割近くが山林で、僅かに商店街が形成されている小さな集落であり町の中心部でもある万沢地区は、古くからの宿場町の形態を今もわずかながらに残しています。
万沢は戦国期にはすでに甲斐と駿河を結ぶ武田氏の道「甲駿街道」の宿場町として発達していた歴史の古い町です。さらに甲斐と駿河の国境に位置してた事から口留番所が設けられていました。万沢の口番所は一般のそれとは違い、村役では無く専任の番役が置かれ関所的な存在あった為に「御関所」とも称されていました。
江戸期になると富士川舟運の開通によって駿州往還万沢宿の繁栄は続きましたが、大正9年に開通した富士身延鉄道(現JR身延線)によって終焉を迎えます。
低地を通るダンプ街道とも称される国号52号線から谷ひとつ離れた丘陵上に集落が形成されているため、緩やかな傾斜に連なる家並みと静寂さが往時を偲ばせていました。ただし建物自体はそれほど古いものでは無く、大正・昭和初期の少し郷愁漂う町並みでした。
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