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勝沼宿の手前から韮崎まで甲州街道はバイパスが整備され、旧道は所々で接しながら併走しています。双葉町へ入り中部横断自動車道を潜ると下今井の交差点にさしかかります。ここで右に進むと甲州街道の旧道である主要地方道甲府敷島韮崎線がに合流し道はそのまま韮崎宿へ通じています。
旧道を進むと突如、海鼠壁の豪邸が姿を現します。この建物は志田村の庄屋であった網蔵家邸で明治期に建てられたものだといいます。
あらゆる様式が密集する要塞のような屋敷構えに圧倒されました。
甲斐は内陸部に位置していましたが古くから駿河地方と海産物や塩の交易が行われていました。このあたりも駿河で陸揚げされた海産物や塩などを信州へ運ぶ中継地として賑わい、それは江戸時代の富士川舟運の整備によって活発になるのですが、諸産物とともに伊豆半島で生まれた海鼠壁の建築様式も伝承したといいます。
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