国道20号線にほぼ踏襲する甲州街道は、旧上野原宿である上野原本町を過ぎた新田倉付近からそれ、現在の主要地方道大月上野原線へのルートがかつての本道にあたります。桂川沿いを通る現在の国道20号線の道筋は明治24年に建設された新道で、通称「川辺通り」と呼ばれていましたが、これによって旧道沿いの宿場町は大きく衰退したのです。鶴川橋を越えるとすぐに鶴川宿へ入ります。
宿場の規模は南北に2町30間(約272m)、本陣は中宿に1軒、脇本陣は中宿と下宿に各1軒、旅籠屋は8軒ありその内訳は大3軒・中3軒・小2軒で、中宿に人馬継立問屋場と高札場の他郷蔵が置かれていました。
江戸方面の上野原宿との間に流れる鶴川には江戸期から橋が架けられていましたが、やはり出水時には流出し、さらに川幅も平時の8間から20〜40間ほどに広がり、川渡しが必要となりました。しかしこの川渡しの横暴により鶴川は甲州街道有数の難所とされていました。
鶴川宿は明治23年の新道開通によってその役割を失い、同30年の中央本線開通によって完全に時代の波から取り残されました。交通量のほとんど無い旧道である為、往時を偲ばせる建物がいくつか残されていますが、元来耕地面積の少ない地域でもある為、早くから八王子方面への就業が過疎化に加えて町並みの雰囲気を変えてしまう要因になっているようです。
一般的な道路地図では主要地方道大月上野原線が甲州街道旧道と表記されていますが実際の道筋は鶴川から継ぎの野田尻宿まで中央自動車道が分断し、新たに設けられた側道がそれに変わっています。
普段なにげに走っている高速道路のすぐ側にこのような集落があり、また旧街道がジグザグに高速道路の上下を横断しているなど想像だにしませんでしたが、今回別の角度、逆の視点から高速道路を俯瞰する良い体験ができました。
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