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  遠敷
おにゅう
 古代より若狭の政治経済の中心として栄えた町
 福井県小浜市遠敷

 構成:商家・伝統様式民家 ■ 駐車場:なし
 
 
小浜市の東近郊、かつての丹後街道(若狭街道)を踏襲する国道27号線の旧道沿いに古い町並みを残す遠敷地区があります。遠敷は「おにゅう」と読みます。
古くは小丹生と記され「おにふ」と呼ばれていたそうですが、8世紀初頭に、俗にいう「好字二字令」(※1字ないし3字以上の地名を2字に統一する令)によって遠敷の字が当てられるようになったと言われています。
遠敷はかなり古い歴史をもつ地域で、江戸期以降に小浜にその地位を奪われるまで、若狭地方の中心であり続けたのです。明治の大合併で遠敷郡の大半が小浜市に編入され、平成の時代には上中町と名田庄村の1町1村だけとなっていましたが、平成の大合併により遠敷郡は消滅してしまいました。

室町期の文献には「遠敷市」の名が見えます。南北朝期ごろはまだ定期市でしたが、室町期ごろから常設市になり、やがて固定店舗を有する町へと発展してきます。また国衙配下の職人も住み、商工業の町でもありました。さらに若狭姫神社の門前市の性格を持ち、京へ通じる九里半街道の中継地の市として栄えたようです。
当時の行政機関が置かれ、名実ともに若狭における政治経済の中心地へと姿を変えていきましたが、やがて近接する小浜が町として発展すると、次第に遠敷はその地位を低下させていきました。

江戸時代は東西に丹後街道が通り、この地域の商工業の中心でしたが、政治経済の中心は小浜城下へ移ってしまいます。明治になると再び遠敷は起死回生して、昭和期にかけて商・工・農すべての面において他地区を圧倒して、遠敷郡の中心へと返り咲きますが、それもつかの間、昭和の高度経済成長期以降、小浜中心部の商店街にその地位を奪われ、急速に衰退していきました。

東小浜駅周辺は番地が振られ、小浜のベッドタウン化しつつある中で、旧道沿いに奇跡的にも残された江戸後期から明治期の町並みは、現在はまだのどかな佇まいを残しているものの、宅地化の波が間近まで押し寄せ、早急な対策が望まれます。

 
中心部は商店街を成し、商店や事務所を営む商家が多い
 
 
町の外れは水路が流れるのどかな住宅地区