能登半島東海岸の先端に程近い内浦町の中心市街が松波地区です。
松波は戦国期に能登国守護畠山氏の分家、松波畠山氏の城下町として発達した松波川河口の町でした。松波城主である松波畠山氏は6代100年に渡りこの地を支配しましたが、越後上杉謙信の能登侵攻の前に滅亡します。
旧のと鉄道能登線(廃線)松波駅の西側に、かつての松波城址があります。現在は公園となっていますが、室町期の枯山水庭園など多くの遺構が残されています。
江戸時代には加賀藩の在郷町として諸年貢の蔵がおかれていました。しかし、江戸中期以降から人口増加や貨幣経済の浸透によって農村は困窮を極め、漁業や製塩業、さらに大工や左官といった出稼ぎに依存していました。その中でも農閑期に金沢や関西方面に酒造労働者として出稼ぎに出たのが、今に知られる「能登杜氏」なのです。
松波は内浦町の町役場所在地ですが、人口が1万人にも満たない小さな町ゆえに中心商店街も非常にこじんまりとして、そこに各種店舗・業種が凝縮されています。
能登杜氏を生んだ地であり、江戸期からこの地域の中心地として発展した町らしく、今も現役の酒蔵があり、その周辺にも昭和初期からの町並みが残されていました。
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