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宇出津は富山湾に面した奥能登最大の港町で、市街地は宇出津湾を中心に馬蹄状に形成されており、リアス式の天然の良港としてその歴史は古い。昔からの発音では「うしゅつ」または「うせつ」と呼ぶらしい。
江戸時代から定置網の漁場として栄えると共に、内浦街道の宿場町、商業町として保護育成され、元和3年(1617)加賀藩に町立ての申請が受理され宇出津新町の建設が始まりました。そして山側が表町、海側が裏町と区分されます。
そうして宇出津は奥能登の商工漁業の中心地として加賀藩の地方支配機関や収納蔵が置かれ、幕末には海防のために台場が建設されています。町の発展は明治以降も続きます。
昭和34年に国鉄能登線(のと鉄道の前進)の穴水〜宇出津間が開通すると、町の中心から少し離れた山の麓の駅周辺が開発され、繁華街も移転しました。
宇出津の古い町並みは、宇出津港の東側、地酒「竹葉」を醸す数馬酒造のある旧音羽町付近には細い路地や漁村集落の様相が強く、さらに遊郭の遺構も残り、繁栄したかつての時代を偲ばせます。一方、
宇出津港の西側は比較的開発が進み、公官庁や商業施設が建ち並んでいます。その中で、能都警察署の裏手の細い通りには伝統的な佇まいの商家が軒を連ねる町並みがひっそりと残されていました。
家々はおそらく近年になって整備修復されたもので、通りは町並みの部分だけが石畳とカラー舗装されていました。間口の多きな建物以外は更新が進んでおり、連続性はすでに失われていますが、宇出津の町並みを残していこうとする町の姿勢がそこにありました。
宇出津のある鳳至郡能都町は同郡、柳田村そして珠洲郡内浦町と合併して能登町とななりました。これにより能登半島唯一の”村”が無くなり、さらに鳳至郡・珠洲郡両郡の全区域を一括した新たな郡として鳳珠郡が新設されました。古い地図には載っていないあたらしい郡名です。 |
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宇出津港の東側にある数馬酒造 |
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