高岡市の北東海岸部、小矢部川と庄川河口に挟まれた細長い中州のような地形の場所に吉久の町並みはあります。おおよそ、古い町並みとは無縁のような臨海工業地帯の中に、まるでそこだけ周囲の喧騒や時間のながれが別世界のような一画なのです。
吉久は歴史の古い町で、かつては漁村から港町として発展した場所です。江戸期には加賀藩の米蔵が置かれ、米奉行の管理のもと、領内の年貢米は小矢部川水運によって吉久に集められ、ここから海運で大坂方面へ運ばれました。
平入り厨子二階、袖壁に真壁造りの2階部分と千本格子の家並み。蛇行する道路が町並みのシークエンスに適度な変化を与え、遠見させない事が、かえってその先への期待に繋がります。町並みの案内看板が地区の入口付近に建てられていましたが、行政が、住民がこの町並みをどのように守っていく姿勢なのかは不明ですが、富山県下で数少ない、また高岡中心部の商家や町家街に匹敵する家並みである事は確実であり、今後の動向に感心が持たれます。
なお、余談ではありますが、全国の地方都市部で路面電車が見直され、各地で近未来的なデザインの低床路面列車(LRT)が次々と導入され活躍しています。
北陸では隣りの富山市の富山ライトレールと共に、高岡市でもJR支線や私鉄の第3セクター化によってLRTが登場しました。吉久へは高岡駅から万葉線でアクセスできます。万葉線の「万葉」とは、もちろんあの万葉集の事で、万葉集を編集した大伴家持が、越中国守としてこの地に赴任していたことに因んだものです。2002年に加越能鉄道から高岡駅前〜越ノ潟の運営が分離され生まれた路線です。ちなみに加越能鉄道は、江戸期の高岡道(放生津往来)上に敷設されています。
|