岩倉市は尾張平野の中央に位置する町で、名古屋と犬山を結ぶ犬山街道沿いに発展した商工業の町でした。犬山街道のうち、名古屋から岩倉までを岩倉街道と呼びます。
岩倉は城下町名古屋の台所を担った町でした。
古代信仰の磐座(いわくらと読む)が地名の由来といいますが、信仰の対象となった岩物がどこにあるかは不明です。しかし市の北部に石仏と言う名の町があります。
応仁の乱を境に、尾張を支配していた織田家は2つの勢力に分割されます。清洲城を拠点とした大和守系織田家と岩倉城を拠点とした伊勢守系織田家です。両家は後に織田家の異端児、織田信長によって攻められて統一しますが、岩倉城の城下町として発展していた岩倉の町は戦火によって灰じんに帰します。
復興が始まるのは江戸時代に入ってから。5と10の付く日に市が立つ六斎市の町として発展し、2月と3月及び師走の季節には毎日市が立ったと言われます。
家数は369軒、人口は2千人を超え、178軒もの商工業者が軒を連ねるほどになりました。
南北に町を縦貫する岩倉街道、北口からは一宮・浅井へ至る浅井街道。石仏から小牧へ至る小牧街道が延びる交通の要衝でもありました。
名鉄岩倉駅の東側、本町から中本町、下本町と一方通行の細い道が南から北へ、ジグザグに伸びています。江戸時代の街道の姿を今に残す道筋には、開発が進むなかでも所々に重厚な商家が残り、内数軒は今も商店として営まれていました。
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