岡崎は八丁味噌の町として知られていますが、近年はNHKの連続テレビ小説「純情きらり」の舞台となり脚光を浴びています。
岡崎の町は徳川家康の父祖・松平清康によってつくられ、家康自身もこの城で生まれます。家康は後に今川家に人質として出されますが、今川家が織田信長に滅ぼされた後に再びこの岡崎へもどり、10年後浜松城へ移るまでの間ここですごしました。
岡崎城下が本格的に整備されるのは豊臣秀吉の時代で、田中吉政によって大規模に行われました。城下町の完成まで実に10年を要したといいます。
岡崎の城下町は後に本格整備された東海道の宿場町として、また矢作川の河港として人や物資が集散し西三河の流通拠点として大いに繁栄します。
これら各地から集められた物資によって岡崎の「八丁味噌」は生まれました。八丁とは岡崎城から西へ八丁(およそ900m)の場所にあった八丁村で造られた事に始まります。家康も好んだこの独特の味噌は、天下統一と徳川幕府の誕生によって全国的な知名度を手にしました。
そして現在も八帖町通り(旧八丁村)には八丁味噌の土蔵街や商家が残り、往時と変わらぬ風景と伝統が残されています。
一方、城下町の方はというと、さすがに大都市となった現在も市内の各地で大規模な再開発が進行中で、皆無に近い伝統的な商家も日を追うごとにその姿を消しつつあります。
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