中津川は中山道45番目の宿場町であると共に、信濃木曽と接する美濃東端の中心地として古くから六歳市が立ち、味噌や酒、呉服・紙・綿などを扱う商家が軒を連ねる商業町として栄た町でした。美濃・信濃国境の宿場町としては江戸方にわずか1里の場所にある落合宿があり、中津川宿を補佐していました。
中津川は中世に遠山氏が支配し、江戸時代になると木曾代官・山村道祐率いる木曾衆の知行所となり、さらにその後は尾張藩に編入されます。
JR中津川駅の南側の本町二丁目〜本町三丁目(旧横町)がかつての街道筋であり中津川宿の中心でした、今も往時を偲ばせる遺構や伝統的な建築物が比較的多く残されています。
町域を通過する中山道の延長は約1km。町の中央を流れる四ッ目川を挟んで本町が宿場町、新町が商業の町でした。本町でひときわ目立つ本卯建をあげた重厚な商家は庄屋を務めた肥田家邸。宿場町の遺構として残る桝形の先には、地酒「恵那山」間酒造を中心として、本卯建と袖卯建が重なる街並みが続きます。間家は東濃随一の豪商として知られ、関連する商家や土蔵は市内に多く残るそうです。現存する宿場町の町並みとしては、町の一画にひっそりと残る程度ですが、中山道美濃路のなかにおいては有数の街並みです。
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