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木本
きのもと

 熊野街道沿いに発展した奥熊野代官所の町
 三重県熊野市木本町

商家・町家・古民家・土蔵  なし  JR紀勢本線・熊野市駅

 
 
古来より「黄泉の国」とされ自然崇拝の対象であった熊野。その熊野という地名そのものが「未開の地」を意味しています。
近年ユネスコの世界遺産に登録された「熊野古道」。907年、宇多法皇が最初の行幸を行
い、その後白川上皇の熊野詣でから京都の貴族のあいだに熊野ブームを巻き起こし、やがてそれは庶民にまで広がっていきます。

三重県中部から始まる、複雑なリアス式の海岸線は南端部で一変して砂浜の海岸線へと姿を変えます。その接点に位置する町が人口約19,000人の熊野市です。JR熊野市駅前の木本町は古くからこの地域の政治経済の中心地として栄えていました。

江戸時代のこの一帯は紀州藩領と藩付家老水野氏の新宮藩(3万5000石)の支配に分かれていました。木本町は紀州藩領で、奥熊野代官所と奉行所が置かれていました。現在の市民会館のあたりです。

「木本」は始め「鬼ノ本」と書かれていました。鬼とはリアス式海岸の海食を受けた洞窟を拠点に暴れまわった、海賊や熊野水軍の残党の事と言われています。現在も熊野の鬼ヶ城など遺跡が残りますが、そうしたリアス式海岸の始まり、「本」といったところが語源でしょうか?

代官所と共に、町内を熊野街道(伊勢路)が通り抜け、その街道筋に沿って東西1町、南北7町の町が形成され、商業の中心地へと発展していきました。

現在もこの熊野街道沿いに商店街が並び、連続性は無いものの、広範囲にわたって伝統的な商家や港町特有の町家造りの家々を見る事ができます。