河内長野市は和歌山県接する大阪府南端の町で、紀見峠を越えると高野山の玄関口である橋本市に入ります。また南東の金剛山地を越えると奈良県五條市と接します。
河内長野は高野山へ通じる街道の要衝として栄えた町です。この高野街道は時代によっていくつものルートが発達し、京都方面から生駒山地西麓を通る東高野街道、堺市を起点とする西高野街道に大阪各地を起点とする、下高野街道、中高野街道が途中で合流。最後に東高野街道と西高野街道がこの長野の地で合流して1本になります
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東西の高野街道は現在も国道310号線と国道170号線がほぼ踏襲し、また鉄道の路線も南海高野線と近鉄長野線がこれに沿って、河内長野駅で接続するなど、河内長野は今も昔も高野山へ通じる街道の要衝として栄えた町でした。この長野の町は高野山への参詣が盛んであった江戸時代においては、それほど大きな町場ではありませんでした。転機はこの地に鉄道が開通した明治から大正時代に入ってからで、鉄道による交通の要衝、山間部の生産物の集散地として大きく発展していったのです。
南海河内長野駅の駅前が河内長野の中心地の本町。現在はビルやアーケードの商店街が密集していますが、所々に街道時代を偲ばせる伝統的な建物を目にすることができます。
旧高野街道は河岸段丘上に形成された本町から、徐々に大和川支流の石川に向かって下っていきます。やがて西條橋の手前に差しかかると、突然重厚な白壁の町並みが現れます。その町並みの中心が、大阪の地酒としても著名な「天野酒」を醸す西條合資会社で、創業は江戸時代の享保三年(1718)といいますから、まさに高野街道と共に長野の町の発展を見守ってきた旧家です。
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