奈良の飛鳥は知られていますが、大阪にも飛鳥の里がありました。大和飛鳥の「遠つ飛鳥:とおつあすか」に対し河内飛鳥は「近つ飛鳥:ちかつあすか」と呼ばれ、いずれも古代官道の竹内街道で結ばれていました。
太子町の地名は聖徳太子から来ており、町内に聖徳太子の墓所があることからも奈良の都と深い繋がりがある事が伺えます。
太子の町並みは旧竹内街道の通る山田地区にあります。
国道166号線沿いに設けられた道の駅「近つ飛鳥の里太子」から分岐した細い旧道が国道の北側を通っています。
かって遣随使や遣唐使によって大陸文化がもたらされた古代官道の竹内街道は、都の山城(京都)移転に伴いその役割を終えましたが、以後は海のない大和に海産物を運ぶ要路となり、江戸時代には西国巡礼や伊勢参りの参詣客で賑わう街道となります。
山田の旧道沿いには大和棟と呼ばれる高塀造りの屋敷を初め、宿場町・街道集落の面影を色濃く残す町並みが今も残されています。
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