近江八幡市街の南東に位置する武佐町は、かつて中山道六十六次の宿場町として賑わった町で、旧中仙道沿いには今も往時を偲ばせる街並みが残されています。
宿駅としての歴史は古く、建武2年には武佐寺(後の長光寺)を中心に宿泊がなされていた記録があります。古くからの交通の要衝で、中世には守護六角氏の保護を受けた市場としても発達しました。
江戸時代に中山道が整備されると、武佐宿は東に愛知川宿、西の守山宿を結ぶ蒲生郡第一の宿場町として人や物資の集散地となります。本陣は下川家、脇本陣は奥村家が務め、問屋2軒(武佐村・長光寺村それぞれ15日交替)、旅篭23軒からなる中規模の宿場でした。
現在の武佐町には小西薬局を始め、厨子二階の白漆喰塗籠に虫籠窓を備えた伝統的な商家建築が宿場町の名残を留めてます。武佐宿本陣の遺構を残す下川家は屋敷の一部を改装して武佐郵便局となっています。その向かいには当時の旅籠が現役の旅館として営まれていました。
規模は小さいながらも歴史的な価値を内包した武佐町ですが、近江八幡市はあまり意識はしていない様子でした。旧本陣の門に掲げられた地元小学校による手作りの説明板に、住民の街並みに対する感心を感じました。
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