和歌山市から紀伊半島を下っていくと、醤油発祥の地として知られる湯浅の町があります。
湯浅醤油の起源は、鎌倉時代に由良の興国寺開祖である法燈円明国師が中国・南宋から帰国の際、味噌の製法も習って持ち帰った事に始まったと言われます。この味噌が湯浅名物、経山寺味噌のルーツで、その味噌樽からにじみ出た汁が、食材を煮るのに適していることがわかり、調味料として改良の末に純粋な”醤油”が醸造されるようになりました。
江戸時代に入ると、湯浅醤油の運搬船は紀伊藩から御用船の扱いを受け、藩の保護のもと商圏を拡大していきました。しかし 最盛期には90蔵にも及ぶ醤油醸造蔵も、今は山田川沿いに残る「角長」一軒のみ。黒板壁の醤油醸造蔵は築150年以上経っており、この蔵全体、梁や壁や天井、桶にいたるまで、蔵独自に育った酵母菌が住み着いているのです。
「角長」は化学醤油全盛の時代にあって、昔ながらの醸造法を守り続けている老舗の醤油蔵です。
この「角長」の周辺には味噌や麹屋などを営む、古い商家が土蔵多く残されており蔵通りと呼ばれています。蔵通りと直角に交わり、湯浅駅方面に続く鍛冶町通りには塗籠厨子二階に虫籠窓、千本格子の伝統的な佇まいを残す町家が軒を連ねています。湯浅は熊野古道が通る町として近年町並みの景観造りが盛んに行われていました。
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