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上賀茂社家町
かみがも しゃやまち
 上賀茂神社神官の居住地区
 京都府京都市北区上賀茂池殿町・中大路町・南大路町
伝統様式民家・水路・石橋・土蔵・門塀 上賀茂神社P  地下鉄烏山線・北山駅
 
 

まずはじめに「上賀茂社家町」という名の地名はありません。「社家町」とは、神社の神官集落を指します。つまり「上賀茂社家町」とは上賀茂神社の神官の住居が集まる地区の総称です。その場所は池殿町・中大路町・南大路町などの一帯ですが、現在全ての家々が神官の住居では無いようで、このあたりは高級住宅地として新しい住民が増えている様です。
近畿を中心に展開するラーメンチェーン店「天下一品」の京都本部もまた、この社家町の一画に建っています。

とりあえず、まずこの「上賀茂神社」は正しくは賀茂別雷神社といい、下賀茂にある賀茂御祖神社を下賀茂神社と称するのに対して呼ばれる名です。

賀茂という地名は古代神話より始まります。神武天皇が紀州熊野から大和に入る際、八咫烏として先導した賀茂建角身命を祖とする賀茂氏一族の居住地を指し、この一族が山城北部に定着してこの地方一帯を開拓した古代豪族だといわれています。
下鴨神社はこの建角身命とその女王依姫命を祀り、上賀茂神社は玉依姫命の子別雷命を祀った氏神社で、この下上社を総称して賀茂神社といいます。両神社は代々賀茂一族が祠官として奉仕してきました。上賀茂神社門前の明神川のほとりには、賀茂氏一族が住んでいる社家町があります。

上賀茂に社家集落が形成されたのは室町時代と言われています。上賀茂神社では、古くから賀茂氏一族の中から社務職を選んでいましたが、鎌倉時代以降は、後鳥羽天皇の血筋を組む一族「賀茂七家」が賀茂一族にかわって社務職を独占しました。

社家町は明神川沿いに土塀を巡らせ、石橋を渡って門を入ります。明神川の水は各家々に引き込まれており、神官たちはその水で「みそぎ」行っていました。

神社の鳥居よりも高い建物はいけないと言うことで、明神川沿いの建物はみな平屋か厨子二階。土塀越しには屋根しか見えませんが、本瓦の質感など堂々とした風格ある佇まいを見せています。

 
 
 
 
 
上賀茂南大路町の家並み・この南端に「天下一品」の京都本部が建つ