木津は京都最南端の町で、古くは大和国への材木供給を目的とした河港の町として発展し、東大寺や興福寺などの木屋所が設けられていました。
かつて木津川は泉川と呼ばれていた為に、別名・泉木津とも呼ばれています。
奈良街道の上狛〜木津間は”木津の渡”で結ばれ、木津町域を縦断する街道沿いに商家が発展しており、今も往時の面影を色濃く残しています。
伏見、宇治、淀、八幡、と並ぶ山城五邑の一つと云われた河港町木津も、明治に入り鉄道が開通するとその役割を失いました。しかし国鉄関西本線、奈良線、片山線などの各線が合流するターミナル駅として再び物流の要衝となり、南山城の中心地として発展していました。
井関川に平行する旧奈良街道沿いには、厨子二階に虫籠窓、千本格子の街並みがおよそ600mにわたって続きます。木津本町の交差点には重厚な土蔵造りの商家が、さらに木津川へむかう道筋には白壁の街並みが連なります。
また木津駅に近い国道24号線沿いには、高塀造り(大和棟)の母家に長屋門を備えた旧庄屋か豪商と思われる風格のある屋敷が目を引き、街並みと供に当地の繁栄ぶりを伺わせていました。
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