一路一会
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向島橋詰町
むかいじまはしづめちょう
小倉堤上を通る旧大和街道沿い
の
町並み
京都府京都府伏見区向島橋詰町
商家・町家・土蔵・酒蔵
なし
京阪電鉄宇治線・観月橋駅
かつての伏見城の城下町で明治以降から酒蔵の都となった伏見の中心部から観月橋で宇治川を渡った対岸に古い街並みが残る向島橋詰町があります。
この街並みは旧大和街道沿いに発達した町で、古くは向島1丁目とも呼ばれていました。
大和街道は京と奈良を結ぶ幹線道路で、時代によりそのルートに変遷があり、またその呼び名もさまざまでした。向島橋詰町を通る大和街道は豊臣秀吉の時代の道でした。
この宇治川右岸にはかつて、古来より多くの文人や貴族に親しまれた巨大な池、いや湖とも言える巨椋池(おぐらいけ)が広がっていました。この巨椋池は昭和に入り水質悪化と農地開拓の為に干拓されその姿を消してしまいます。
宇治川は増水時には流域に甚大な被害をもたらしていた為に、幾度もその流路が付け替えられて来ました。宇治川治水事業が最も活発に行われたのが豊臣秀吉の時代で、伏見城が建設された時期に宇治川右岸に長大な堤防が築かれます。この堤防は小倉堤といいますが、秀吉の名から太閤堤とも呼ばれていました。そして伏見城下から宇治川に豊後橋(後の観月橋)が架橋され、その南詰から巨椋池(おぐらいけ)の堤防沿いを通って南下する新しい大和街道が整備されます。その道筋は現在の近鉄京都線のルートに沿っていました。
向島という地名は伏見城下から宇治川を挟んだ向にあった事に由来します。
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向島橋詰町の酒蔵
清酒
「ふり袖」
向島酒造
京都市伏見区向島橋詰町787-1
075-601-1942
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