向日市は京都市南区と右京区に隣接する京都市のベッドタウンで、丹波山地の東麓、向日町丘陵(西ノ岡丘陵の一部)の南に位置しています。この向日町丘陵の最後部が向日山(別名、向日岡)と呼ばれ、養老2年に創祀といわれる式内社向日神社が鎮座。市名はこの向日山と向日神社に由来するものです。向日市の中心部は古くより寺戸郷西岡の交通の要衝として発展していた町でした。
中世に七条口から物集女、寺戸を経て山崎に至る西国街道沿いに、今もなお往時を偲ばせる家並みが残る向日市寺戸町。近鉄東向日駅近くの北端部で愛宕道(嵯峨道)と丹波道の分岐がある追分町でもありました。
向日上之町は向日山の北麓に阪急東向日駅にかけて南から北に下る斜面に形成、一方向日下之町は同じく向日山の南麓に北から南にかけて下り、阪急西向日駅に至る旧道沿いに往時を偲ばせる家並みが残されていました。当時は120坪の敷地を有した酒造業者を筆頭に搾油業者が多く、その他呉服、綿屋、青物・魚屋、酒屋・醤油・油屋、植木や畳屋などの衣食住関連の商家、さらに紙問屋や両替商、旅籠などが立ち並んでいたといいます。はじめ向日町はその大半が向日神社の境内でしたが、豊臣秀吉が郡内の商工業者をこの地に集住させて向日新町を新設したのが町の始まりです。
上之町は西国街道、愛宕道、丹波道に沿った町で、下之町は上之町に続いてその南側の西国街道に沿って、町場の規模としては上之町の半分ほどだったようですが、この下之町の西側一帯が狭義の意味での向日町でもあります。「向日里人物志」などには向日町の紹介として多くの知識人が記され、その大半は屋号を持った在郷商人だったことからも、この町の一種変わった繁栄ぶりが伺えます。
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