京都の奥の院の印象が強い大原は信仰的要素と観光的要素が強く、アクセスが悪い割には常に人々で賑わう有名地でもあります。しかし、それでいても「里」の雰囲気も色濃く残る地域にはかわりありません。その場所は比叡山の北西麓、四方を山々で囲まれた南北に細長い大原盆地に位置する里で、盆地の中央を大原川が流れ、それに沿って古来より鯖街道とも呼ばれた若狭街道が北国方面に通じています。
中世から大原の里は狩猟地でありまた朝廷の牧が置かれていました、また多くの皇族や貴族が隠居・隠棲の地として大原に移り住んだ地でもありました。
さらに木材や薪炭の供給地としても重要視されていて、
京の都で薪を頭に載せて売る行商の女子「大原女」(おおはらめ)は平安期からすでにその記録がありました。
大原は比叡山に近かった事から延暦寺の勢力圏で、三千院や勝林院・来迎院などは延暦寺の別院です。
現在、この地域でもかやぶきの民家は少なくなりましたが、三千院の門前地区には今な茅葺きの姿が残されていました。
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