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天正8年(1580)織田信長から丹後一国を拝領した細川忠興は宮津に城を築き、父藤孝は田辺城(舞鶴)を築いて隠居しました。 細川忠興は関ヶ原の戦いでの軍功により加増されて豊前中津へ封ぜられ、替わって信濃国飯田から京極高知が入国し、3人の子に所領を分割、宮津藩・峰山藩・田辺藩が成立します。 田辺藩主4代京極高盛が但馬国豊岡に移封されると、代わって京都所司代を勤めた牧野親成が3万5000石で入封し、以後10代世襲して明治を向かえました。 高野川沿いに立ち並ぶ土蔵の風景で有名な竹屋町は、廻船問屋や商家が建ち並ぶ商業の中心地でした。さらに由良川の水運を支配していた竹屋の商人は藩内外の産物の集散をはじめとして、近郷近在との商取引や、北前船への中継ぎによって富を築きました。 高野川の両岸に立ち並んだ大壁造りの土蔵や船小屋などは、河川改修や堤防の建設で建物自体はわずかに残っていますが、往時の雰囲気は失われてしましました。 竹屋町筋には廻船問屋の伝統的な商家が残り、文化財に登録されています。 本町や高野側対岸の寺内、さらに国道沿いなどにも明治〜大正期と思われる古い建物が散見されます。田辺藩城下町の町割りが残っているので、探せば意外な建物が残っているかもしれません。 |
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