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吉田神楽岡町
よしだかぐらおかちょう
 吉田山の東麓に形成された大正時代の住宅地
 京都府京都市左京区吉田神楽岡町山の手
古民家住宅  なし 銀閣寺行きバス・銀閣寺道下車・徒歩約15分
 
 

京都大学の裏手にある吉田山は標高102.6mの小山で、別名神楽岡とも呼ばれています。古くは吉田神社の神苑の山でしたが、しばしば戦場となり、足利尊氏の軍勢がこの山に陣を敷いて南朝方と戦ったことでも知られています。鎌倉期ごろから公家の山荘地として開発が進み、中でも西園寺公経の「吉田泉殿」は著名でした。また古くから吉田神社を始めとして山腹には数多くの末社が点在する、神霊の丘のであった事から神楽岡の名でも呼ばれるようになりました。

この吉田山山頂付近に古民家、いや古屋敷を改装したカフェ「茂庵」があります。ガイドブックでも紹介される隠れた穴場のこのカフェの元よなった建物は、大阪出身の豪商・谷川茂次郎が、茶席を催すためにつくった茶庵の一つで、大正末期に建てられたものだそうです。そして「茂庵」という名は谷川茂次郎の雅号に由来します。

かつて、岡崎と北白川を結ぶメインストリートであった神楽岡通から、さきほどの「茂庵」へ至る石段の山道の途中に、銅板葺きの住宅群が整然と区画されて並んで いる家並みが現れます。この一風変わった、そして奇跡的に残された住宅街は先の豪商・谷川茂次郎が大正末期から昭和初期にかけて建設し借家住宅群で、京都大学に近い立地でもあることから京大の教官を主な対象とした上質な借家住宅でした。

吉田山の東麓の傾斜地に石垣を築き、数段からなる段地を形成し、そして家々は石段や石畳のある道で結ばれています。東側に東山の山並みを展望する傾斜地に立地することから、採光・通風・ 見晴らしなどに優れ、まるで別荘地のようなたたずまいの最高の立地です。

一部虫歯のように取り壊されて空き地となった場所も見受けられますが、引越業者、宅配業者泣かせの、このある意味で不便な立地が、この大正時代の家並みを残すことになった一つの要因だと思いますが、必ずしもそればかりではない事は、実際にこの場所に訪れて実感できます。