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中筋通は今出川通の一本南側を通る約500mほどの小さな通りで、織物や機業の町家が点在します。豊臣秀吉の洛中改造事業の後から江戸期ごろにかけて生まれた通りでらしく、名前の由来は須磨町通(すまのまちどおり)と元誓願時通の間にあることから。この須磨町通りは現在は無く、今出川通り(新道)の一部となっています。
中筋通は今出川通から千本通にいたる道で、この500mの道筋以外に、実は堀川通〜大宮通と油小路通〜新町通間が途切れています。堀川通り以東の道を今町通りとも言いいます。 |
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短い通りですが町家の密度・グレードは高い |
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