御幸町通は寺町通から数えて西へ1本目の筋で、「ごこうまちどおり」とも呼びます。丸太町通から五条通に至る約2.3kmの路です。
平安京時代には無く、天正18年の豊臣秀吉による洛中改造(天正の地割)によって新設された通りで、初めは丸太町通の先が椹木町通まで延びていました。しかし宝永五年の大火をきっかけに、御所の拡張が行われ、丸太町通から北は御所に取り込まれてしまい消滅。その代替地が下長者通浄福寺西の「新御幸町」です。
通りの建設当時、秀吉の邸宅に通じる南北路はこの筋だけであった事から、参内の路となった事から通りの名となりました。 |