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大和郡山市の南東市街に環濠集落で知られる「稗田集落」があります。郡山ニュータウンとして団地造成が進んでいますが、今なお売太神社付近には昔ながらの集落が残されています。この稗田の南、佐保川沿いに番条という集落があります。
堤防の影に密集したこの集落もまたかつては環濠集落であり、現在のその遺構がいたる所に残されています。
番条は鎌倉期から見える荘園名で、古くから日本最大の商業貿易都市・堺と大和北部を結ぶ河川交通の港としても開かれ、要衝として争奪の場となりました。戦後期になると大乗院門徒一族である番条氏の支配を経て江戸時代には郡山藩領となりましす。
この集落の中心となっているのが、江戸時代の1853年創業で郡山藩御用商人として苗字帯刀を許された中谷酒造の酒蔵です。さすがに地元の盟主だけあり、大和棟と呼ばれる高塀造り主家からもそれが伺えます。中央の茅葺きだった部分は残念ながらスレートに葺き変わっていますが、この集落には他にも大和棟の民家が散見されます。中谷酒造は小さな酒蔵かと思いきや中国にも工場をもつ国際的な酒造メーカーだったのです。しかし、休日でありながら丁寧な対応をしていただいた蔵のかたからは非常に素朴な印象をうけ、購入した酒の味を楽しみに蔵を去りました。
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中谷酒造の主屋は大和棟 |
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