吉野はその名の響きも、地理も、歴史もきわめて神秘的な地域だと思います。
役行者が開いた金峯山寺、”黄泉の国”熊野への入口であり、吉野連山と水豊かなな吉野川を有する秘境は「大和国」のなかにあって「吉野の国」と言われたとか。
さらに中世には独自の武力を有した金峯山寺を頼り、都から源義経や後醍醐天皇が逃げ込み、挙兵した地。しかし今回は町並みの紹介なので、広域名称の吉野とは分けて、吉野町の中心部・上市地区に限定して記述します。
上市は初め、千股(上市の北約1.5km地区)の住人が吉野川の中州に町場を形成し材木市を立てたのが始まりで「千股里(ちまたのさと)」と呼ばれていました。
上市の名は同じく下流の秋野川の市との対の呼び名で上市・下市と呼んだのに始まります。明応5年(1496)飯貝に浄土真宗本善寺が創建されると、その保護を得て住民みずから寺内町の様相を呈した町場を形成します。下市が願行寺を下市御坊と称したのに対して上市は本善寺を上市御坊と称します。
しかし、吉野川の水流の変化により中州が浸食されはじめると、上市の町場は山側の斜面への移転を余儀なくされます。以後上市は吉野川流域の商業町のほか和歌山街道、別名伊勢南街道の宿場町として発展し、明治に鉄道が開通するまでは吉野町の中心であり続けました。
上市の古い街並みは、吉野町役場を中心に旧街道沿いを東西約1kmに渡って不連続ながら展開しています。役場の東側の立野地区には宿場町を遺構を残す町並みが続き、千股川の流れる桝形?付近には伝統的様式の重厚な屋敷が現役の澤村病院や北岡酒造として今も営んでいました。まさに街並み博物館と言えますが、ただし街並みの質・規模としては役場の西側、「猩々」の北村酒造の周辺から始まります。
日本一の山林地主と目される北村家の本宅や北村林業本社など、北村家の城下町とも言える歴史的な建造物が集まっています。
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