広島市西部、太田川放水路の右岸に位置する町、草津。近郊ベッドタウンとして開発が著しいこの町にも、わずかながら古い家並みが残されていました。
草津という地名は滋賀県にある東海道草津宿や群馬県の草津温泉が全国的に知られていますが、この広島県の草津は古来”久曽津”という名の港町でした。
草津の語源は、古代神話においてこの港が神武天皇の営陣地であった事から”軍津(いくさつ)”と称した事に由来するといいます。それから時を経て戦国期の毛利氏時代には草津城の城下町として拡大し、さらに江戸期には広島城下と広島湾を警護する水軍基地として、また広島藩の商港、厳島への渡船場として発展しました。さらに陸路では西国街道(山陽道)において、広島と廿日市宿の間宿としても賑わうと共に、三次藩や浜田藩の藩主は参勤交代のおり、この草津港から海路大坂へ向かいました。
そんなかつての草津港は、江戸期より始まった埋立により今はその面影は無く、現在の広島電鉄草津駅のあたりにあったのです。草津橋の麓に建つ小泉酒造。広大な敷地を有する歴史ある酒蔵で、厳島神社の神酒を醸造する蔵でもあります。この酒蔵の酒銘である「みゆき」は人名では無く、明治18年8月の明治天皇行幸を記念した「御幸(みゆき)」から名付けられたといいます。
この小泉酒造から国道2号線に続く旧山陽道沿いに、連続性は無いものの、さまざまな様式の伝統的な商家建築が残り、草津の町の歴史を今に伝えていました。
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