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広島市の北半分を占める、同市でもっとも大きな区である安佐北区。広島市の区とはいっていも、旧安佐郡の町村が市に編入されて生まれてような区であり、500〜900m級の山々に囲まれた山間の町や集落が点在し、かつ過疎化の勢いも止まらない地域です。
その安佐北区の西端、山県郡の加計町や千代田町に接する旧安佐町。中国自動車道・北広島JCTのすぐ北側に、鈴張という集落があります。
古くは錫張とも書かれ、かつてこの地に鈴を張る鍛冶師がいたことに由来するという、この集落は江戸時代に六斎市の立つ市場町であり、木炭や山繭を使った紬織を主産業として栄えていました。
陰陽を結ぶ街道筋(庄原往環の一つ鈴張街道)にあって、太田川支流の鈴張川に沿った渓谷の町には今なお伝統的な商家が数多く残り、往時を偲ばせます。「鈴張紬」のブランドで各地に売り広められた、紬織物の材料となる山繭は、芸備雲伯の広範囲にまたがる8カ国から買い集められます。この事は原材料の買い集めから販売まで、相当な財力と販路を持つ在郷商人がいた事が伺えます。
文政二年(1819)の資料では戸数404軒、人口は1759人、多種に渡る数多くの諸職人のほか、医師も数名いる町場に匹敵する在郷町でした。
鈴張川の西岸にだけ立ち並ぶ家並み。鈴張の在郷商人の繁栄ぶりを伺わせる土蔵と並ぶ重厚な商家建築は景観の保存が進められています。 |
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