福山市の南に張り出した沼隈半島の先端海上に浮かぶ陸島。半島と陸路で結ぶ内海大橋は、2つのアーチ橋がくの字にカーブする独特の構造。田島と横島を中心に4島から成る内海町で、町の中心市街が田島の口地区にあります。中心とは言うものの役所や郵便局はありますが、商店街などは無いほんとうに小さな集落です。内海町には大字が無く、公式にはすべて地番で表記されますが、旧島名と集落名は通称地名として今も存続しています。
この口地区にはナマコ壁に漆喰に塗り込められた伝統的な商家建築が多く見られるのが、他の漁村とは一目違うところです。古来には製塩も行われていたと言われる田島ですが、江戸期には畑作が中心で農間予業としての漁業が行われていました。また西国大名の参勤交代時には人夫として徴発される「加子浦」にも指定されていたようです。
その後漁業の比重が高くなり、江戸後期になると田島の漁師は、瀬戸内海の他の漁場だけでなく、はるか九州にまで出稼ぎ漁業を始め、さらに捕鯨業に携わるものはフィリピン沿海まで出かけたと言われています。それらの財の蓄積か大正期ごろから田島には商業者も増え、今のような商家の家並みが出現したものと思われます。
建物は連続していませんが、桝形のように折れ曲がる道筋によって小さな商家町を思わせる雰囲気が造られていました。
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